助けの求め方
誰に助けを求めればいいのかわからない時にどうするか。
そこで人生の中でどれだけの人に出会ってきたか、その結果が表示されることになる。できれば合格点が欲しいところだ、厳しいところ。どんなに素敵な出会いをしていてもそれが持続されていなければ出会っていないのと同じこと。
助けを求めることができる人が居ること。それほど素晴らしいことは無いと言える。だからこそ貴重な存在を探す旅は長いものになる。問題は、居るのか居ないのかではなく、居ない時にどうするのか。自身で考えてみる。それに関してならすぐに答えが出た。
出会いと恋愛の中間
勿論この答えにおいても1000人おれば1000通りある。「誰にも助けを求めない」これが私の答えだと胸を張って言える。
「助けを求めなければならない時、おそらく判断力が普段よりも衰えていることがある。その時にパッと思いついた人こそが本当に助けてほしいと思っている相手なんだ」
幼いころから人に迷惑をかけるなと教えられてきた人間はどうすればいいのか。
恋愛は助け合いだという人もいる、出会いに求める物はその人が自分とあっているかどうかの判断場所。
出会いの結果論
中には出会いの場所を出会い系サイトなどのわけのわからないところに決めている人もいるのだ。そんな中で恋愛とは助け合いなんてこをいわれてもこちらとしては困ったものだ。人に迷惑をかけるとは人が面倒だと思う事。気分を害するようなことにしてしまうこと、ややこしい話を持ち込むことなど・・・そうなると人に助けを求めることがどんなに迷惑なことかと思えばそれができないことになるのは当然の流れではないだろうか。ひとが助けてほしいと言ってくる事はむしろうれしいのだ。
幼いころに植え込まれたものは成長してもなかなか消えることがない。三つ子の魂は百までなのだ。迷惑をかけるなと言われればなるべくかけないようにしなければならないし、泣くなと言われれば泣かないようにすることに徹さなければならない。テストでいい点を取らなければ怒られるから勉強する。なるべく説教されることは避けたいから悪いことがばれないように嘘をつくようになる。異性と遊んではいけないと言われたから遊んでも遊んでないと言うようになる。だから恋愛は悪いことなんだと意味を履き違えて成長してしまい愛情をそそがれないままとんでもない大人になってしまった。こどもの教育には大変厳しかった母親だが私がこんな風になってしまったことに未だに疑問形になっている。私の育て方は悪くないとつぶやくのだ。その通りだと思う。まさに恋愛恐怖症に陥ってしまっている私の中にはそもそも「恋愛」という言葉が薄い文字になっている状態。これは勿論母親の教育なんかのせいではない。私自身の問題なのだから。