考えること。
大好きな先生がよく言っているセリフがある。「考えることで自分が存在している事実を知ることができる」つまり考えることから人間は自然と逃げようとしていしまうんだと。
いきなりだが恋愛の事を考えてみることにした。人間にしかできないこと。それが出会いなんてそもそも何が目的か、もとはと言えば恋愛とい言葉が存在しているからこそ、断言できる事が難しいとされている出会いの話。それが何においても言えること、何をするにも言えることで、恋愛にとらわれる必要はないのだ。しかし人間は恋愛にとらわれていていつになっても恋愛に自由を奪われていてそれが恋愛のせいだなんて誰も思わないのだから。。。
何もできない人間にも考えることはできる。その考えた事でまた新しい事がわかるようになる、理解する。その繰り返しで人間は生きている。それが人間が大きな進歩をなしとげた理由なんだから。
出会いだけが恋愛の始まり。
どこにいってもおかしい。何かがあきらかにおかしい。その違和感にすぐに気づくことができなかった。恋愛そのものを考える必要があるのかということ。きっとこの違和感はここのおお範囲にあるのではないかと。恋愛経験もろくに摘んでない私がどうしてわざわざ恋愛の事を考えているのか。これってもしかして無謀なことなんじゃないかと。考えるからには自分の中でせめて結論をださなければならない。恋愛を考えることはまさに因数分解のことをろくに解っていないのに関数問題に挑もうとしているようなことだった。それでも私は一度考えると決めたのだから考えなければならない。
実は出会いのことなんてどうでもよくて本当に考えたいことは出会いなんてことよりも、恋愛にちなんだことよりも、人間がどんなことに苦しんでいるのかと言う事楽しい時間を過ごしていても苦しんでいる人が多いのはなぜか。笑っているはずなのに楽しそうに人生を送っている人が少ないのはなぜか。
何で出会うのか。
そんなことを考えていると結局のところ恋愛が絡んでいることが解るようになり、それがもとはと言えばの話に戻ってしまうのだ。
恋愛が嫌いだった。人間関係性を表している言葉の中で最も裏切りの空間に隣接しているもの。だから、恋愛と何かが紙一重だと。何かとは勿論何かわからない。何か解らないおのが恋愛の手前若しくはあちらにあるかもしれないと思うと、異性との出会いを求めることさえ安らぎに値しないのだ。
ただし紙一重なので必ずそれが裏切りに変わるとは限らないことはすでに知っていた。それが恋愛所金楽しさだったり初々しさだったり相手のことをもっと観察してみようと思っていたり。だれもが最初はお互いがお互いを探し合っている。
何で出会い、その異性を知ることになったとしても、有利ななのは男性の方なのだ。女性のあからさまな感情の変化には男性は到底ついて行けるはずもないのだ。女性は感情の山谷が激しく男性は器用にもいろんな方向を同時に見ることができる。そのかわり、いろんな方向を同時に見すぎることで順位をつけてしまうのだ。どこに行っても「何か」のアンテナを張り巡らせている。いつか完全体・自分が一番求めているモノをいくつも兼ね備えている気安全に近い存在がいるのではないかと。
関連サイト
スタービーチ
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